その時々のうちうみ和子の思いや考えを述べます
    2016年12月28日発

                       ヒラリークリントンさんの敗北

 思いもかけないヒラリークリントン氏の敗北であった。誰もが初の女性大統領をと思っていた。マスコミのほとんども。政界でさえ。それがほとんどの方の想定外になってしまったのだ。これをトランプショックと報じているが、私はヒラリーショックといいたい。
 多少のスキャンダルはあったものの大道を歩いてきた政治家である。国務大臣の時は世界各国を回って外交に努めた。特に(これは上院議員だった時かも)北京での世界女性会議では女性の問題を人権の問題として、人権が定かでない中国を揶揄したものだ。
 少女のころは宇宙飛行士になりたかったと聞くが、当時は女性は駄目であったという。そんな時代の息苦しさを体験しながらの政治家としての成長は、女性としては応援したくなるものだ。しかしガラスの天井は打ち破ることはできなかった!

 先ごろ発表された世界でのジェンダー指数からみる女性の地位のランクでは、アメリカは45位。あの世界を凌駕しているアメリカがこの数字だからというわけではないだろうが、日本は144か国中111位というランクである。なんとも驚くべき数字ではないか!もちろん先進7か国(アメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシア、日本、イタリア)中最下位。ちなみに上位の国は北欧諸国で、スウエーデン、デンマーク、ノルウエイとなっている。ここから判断されることは、北欧諸国のようにクオータ制(割当制)でも導入しない限り、日本の順位は上がらないということだ。

 ヒラリーさんは敗北のメッセージの中で、少女たちに言っている、「自分の信じることへ向かっていくことは素晴らしいことだ」と。その言葉のそこにある物はアメリカの男性優位社会、あるいはその考え方にあることを私たちは考えなくてはならない。理由なく女性ではだめという考えは、女性の中にもいるようで、トランプ氏の支持者の中に多くの女性たちがいることは、何とも同じ女性としては理解できない。トランプ氏があのように女性蔑視の言動をしているにもかかわらずだ。欲望の国アメリカは女性たちを欲望の虜にしているのかもしれない。
 強いアメリカは男性優位社会、白人優位社会であるべきであることの証明ではないか。女性たちは男性並みに自己主張し、男性並みになって初めて認められるらしいから、それって正しい男女平等?性差がある限りそれはちょっと違うのではないかというのが現代の平等論ではないか。権利としては同権という意味と、生物学的な性差は違うのだ。

 アメリカは私の青春時代にはある意味で憧れの地であった。正直行こうと思ったこともあった。アメリカンドリームを夢見てである。当時勤めていたビジネスカレッジの学生の中でも、活発な女性たちは渡米するのだと希望にあふれていた。そんな同胞はたくさんいたに違いない。そして現在の経済大国日本があるのだろうけど、今そのドリームも地に落ちた感じだ。欲望の塊、利益誘導、銃社会、核保有、世界各地の米軍基地のアメリカに安らぎの反映は望めない。トランプ氏によって世界が揺さぶられ、日本丸はその中で、どこへ行こうとしているのか。とりあえずは世界状況を注視していかなくてはならない。そしてこれは今生きているものとして大事なことだということをみんなが共有しないとね。トランプさんも差別主義はやめて、民主的な、希望ある世界への努力をお願いしますよ!
            (H28.11 記)



 今朝(12.28)安倍首相はオバマ大統領とともに、ハワイのアリゾナ記念館に献花し、その花びらを真珠湾へ散らした。いまだに、海に眠る数百のアメリカ兵の御霊に哀悼の誠をささげたのだ。75年という長い時間を経てもなお、あの時代の残酷な事実は消すことはできない。しかし、時の流れは確実に心を癒し始めているようだ。生き残った軍人たちと言葉を交わすお二人に、真摯なものを感じた。国を代表してのお二人のスピーチの中では「和解の力」がここへ至らせたのだと日米同盟を協調していた。歴史的なこの日を平和へのメモリーとしたいのだろう。
 5月のオバマ大統領の広島訪問時の感動的なスピーチも心に残ったが、今回のお二人のスピーチも歴史に残る、記憶されるものとなることだろう。
 「過去と他人は変えられない」けれど、これからの人類は英知をもって、真の平和の構築に努力していただきたいものだ。

 来年、アメリカはオバマ大統領に代わってトランプ氏が、イギリスではユーロ圏を離脱した国づくりが、そしてフランスでも大統領選挙、一方、ロシアではシリアを支援しているプーチン氏と、大国を自任している中国と、世界情勢はめまぐるしく変わりそうだ。この中での日本丸、そしてスピード感をもって改革を進める境町、さあどのような年になるのだろうか。不安と期待が入り混じった各地での状況は当分目を離すことはできない。よりよい社会を目指して、平和な世界を目指して、リーダーたちには賢い政治をお願いしたいものだ。そして私たちはいつまでもサイレント・マジョリティー(物言わぬ多数派)ではなく、大いに異議は申し立てようではないか。明日の子供たち、未来のために。

 今年もご支援、ご指導ありがとうございました。来る年もより良い時となりますよう、心よりお祈り申し上げます。
 寒くなりました。お風邪など召しませんよう、ご自愛くださいませ。内海記 (H28.12.28)









2015年 11月23日発
                   安保保障関連法案の可決と水害

 衆参両議院で200時間以上の審議を行った安保関連法案は9月17日の特別委員会で、野党議員たちの抵抗もむなしく成立しました。しかもこれが国会議員の品性なのかと目を覆いたいほどの乱闘!かつて沢山の乱闘はありましたが、今この時代においてさえ、紳士的とは思えないこのありさま。やはり政治はいまだに3流なのでしょうか。何とも情けない気持ちで国会中継を見ておりました。数の論理でとおすということはこういうことなのですね。ある意味でこれは暴力ではないでしょうか。国会の品位とは一体何なのでしょう。何とも後味の悪い成立でした。

 境町でも遅ればせながら9条の会さかいと茨城厚生労働組合西南支部から「安全保障関連法案の廃案を求める意見書の提出を求める陳情書」が提出され、9月15日に9対3で採択されました。翌日国会の各関連機関へ送付されました。滑り込みの意見書となってしまいましたが、多くの自治体ではすでに慎重審議などを求めていました。これらはすべて国会周辺を取り巻いた10万人規模のデモなどに象徴された国民の声なのです。しかしながら、憲法の解釈を変えてまで成立させた政府には届かなかったわけです。これで安心安全の防衛になるのならともかく、限りなく不安要素がある法案となってしまいました。これも私たちが政権党を選んでいる結果なのでしょうか。

 安倍首相は成立後も丁寧に説明するといいながら、臨時議会も日程の調整がつかないということで先送りしています。外遊も意義はあると思いますが、今この時なのでしょうか?韓国との問題、中国との問題、TPP問題、、そして原発稼働、福島の復興、関東での水害、と課題は山積しているというのに。
 いづれにしても時代の変革の時、来年の参議院選挙まで、まだひと波乱ありそうですね。選ぶのは私たちなのですから、いつもより慎重に国会議員さん方の言動を見てまいりましょう。特にお若い方々にはこれからの日本をどうするか、どうしたいかよーく考えていただきたいものです。

 境町では2年目を迎えた町長に水害という洗礼がありました。町長のご自宅も浸水しましたので、大変であったとは思いますが、それだけに改めて、この町のネックがわかったのではないでしょうか。この際、徹底的に冠水場所の除去など、抜本的な改革をお願いしたいものです。今回は的確に対処していたと思います。茨城県の災害支援も得られて、8億以上の被害にもかかわらず、町の持ち出しは4500万ほどということです。また、図書室や道の駅のリニューアルなど、分かりやすくしています。これからが大変でしょうが、しばらくは見てまいりましょう。

 寒くなります。お風邪などひきませんよう皆様ご自愛ください。
                    (H27.11.3 記)







2015年 8月3日発
                    戦後70年を迎えて

 戦後70年という節目のせいか、戦争を題材の映画やテレビドラマ、ドキュメンタリーなど各メディアで放映されています。戦争体験者がだんだんと他界されていく中で、戦争を知らない世代の方々へ真実を伝えていくのは残された方々の社会的責任でしょう。その方々はまさに歴史の生き証人なのです。その意味で、茨城新聞に連載されている「私の戦争体験」は一市民の目に映った真実の戦争の姿であると思います。毎日読んでいて、この茨城県でも多くの市民が被災されていたのだなと、改めて知りました。そしてそのほとんどの方が戦争はいけない。どうしてそんなバカなことをしたのか、と嘆いています。今だから言えることなのかもしれません。その言葉や、わずかな行間の中にその時代の空気を感じ取りながら、私は幾度目頭を熱くしたことでしょう。ことに結婚数か月で、思い出らしいものもなく、逝ってしまった夫たちを持つ若き妻たちは、かみっぺら一枚のあまりに残酷としか言いようがない戦死報告に慟哭したのです。それでも彼女たちはその後の人生を子供を育てて生き抜いてきたのですから、改めて、瀬戸際におかれた女たちの覚悟のほどがしのばれます。いま生き残って、安泰な老後を迎えられている戦争体験者には本当に頭が下がります。

 こんな中での急な安全保障関連法案の衆議院での強行採択。数の論理はあるものの、本当に論議は尽くされたのでしょうか?少数派の意見の尊重はあったのでしょうか?今、参議院へ送られた法案はまたもや同じような議論が繰り返されています。日々テレビで国会傍聴をしていますと、同じような論理に終始する与党と民主主義の否定だと憤る野党の対立にはいささか不毛感があって、これが私たちが選んでいる国会議員さんたちなのかと情けなくなります。当分続きそうなこの論議に、いくつかのほころびを見出したところで、憲法違反を承知で国民をねじ伏せようとしている今の政府には届かないでしょう。憲法をないがしろにするこのような暴挙は国民の意思でないことはどのアンケート調査を見ても明らかです。

 折から国会前では若者たちや若いお母さん方で埋め尽くされたデモがありました。シールズ(民主的政治のための学生緊急行動 Students Emergency Action for Liberal Democracy_s)や「誰の子供も殺させない」というママの会です。そのほか、あまり報道はされていませんが各地で抗議のデモがなされています。茨城県西地区でも8月2日日曜日にデモ行進がありました。300名からの老若男女がそれぞれにシュプレヒコールしながら古河市を練り歩きました。折からの極暑の中にもかかわらず、会場は熱気にあふれていました。特に若いママさんたちの新婦人の会は手製のパッチワーク製のメッセージを何枚も掲げていました。こうした若い方々の参加こそ本当に望ましいものです。なぜならこれらの問題はすべて未来の子供たちの背中にかかっているからです。これからの活動も注視していきたいものです。
 
 安倍首相は70年談話を出すとのことですが、ぜひ過去の村山談話、あるいは河野談話を踏襲したものであってほしいものです。有識者たちの中には永続敗戦の重みを感じて謙虚なあり方を述べる方方もおります。今ある日本の信用度を失うことなく、信頼できる国家になるよう、政治家たちの英知を結集させてほしいものです。そして国家が間違えそうな時のために憲法があるのだということ国民みんなで共有しようではありませんか。これ以上、憲法違反は認めたくないですね。
    (H27年8月3日   記)










 

2014年12月30日発
                   新年を迎えるにあたって

 今年も色々とありましたね。政権党多数による強行採決やら閣議決定やら、私にはいつか見た光景が繰り返されているとしか思えないこの頃の政治状況です。加えて暮れの忙しい時に選挙ですから、国民ははなはだ迷惑というものです。しかも大義が見つかりません。環境を重視する私にとっては原発再稼働や集団的自衛権、憲法改正など、ちまたで懸念されている諸問題こそ争点にしてもらいたかったのに、なぜかどの党も言い出しませんでしたね。のみならずマスコミもおざなりです。朝日新聞の一件があったせいでしょうか。物言えぬマスコミになったしまったのでしょうか。ならば一層おかしな世の中になりませんか?

 選挙は予想通り、政権党の圧勝でした。野党は振るわず、唯一共産党だけが躍進しましたね!まあ野党らしい野党だからでしょうか。マドンナ旋風を巻き起こした土井たか子さんも鬼籍に入ってしまった今、憲法を守る正統派は本当に少なくなってしまいました。やはり憲法改正の時期はまじかなのでしょうか。なんでも自民党は結成以来の憲法改正論者だとか。二世議員の多い国会議員たちですから、父親たちがなしえなかった改正を何としてもやり遂げたいのでしょう。アベノミクスという経済を優先させての今回の選挙。結果として国民が認めた形ですから、やはり景気は良いのでしょう。私には新たなるマネーゲームの再来にしか思えないのですが。私の周りの方々はみんな景気の良さは実感していません。

 翻って境町は若き町長が3月から各種の改革を行っています。圏央道IC周辺開発も具体化され進み始めました。新たなる躍進の時です。あのバブル景気をもう一度とばかりに企業誘致を図ります。やはり経済優先ですね。各種の民間利用や戦略会議立ち上げなど、そのやる気は感じますが、どうなのでしょうか。人口減少、超高齢化に入った日本列島です。消滅する自治体もあると聞いては、境町でもここ数年人口減少が続いているだけに、これで大丈夫なのかと正直考えてしまいます。資本主義社会の中にあってはその根幹のところでは許容しなければならない社会ではありますが、一方において循環型社会をめざしながらの資本主義も並行してあってもいいのではないでしょうか。

 先ごろ読んだ藻谷浩介氏の「里山資本主義」には木材を利用したストーブや木材で建てるビルなどの実例がたくさんありました。そうした取り組みは今あるマネーゲームの資本主義を補完するシステムとして必要なのではないかと彼はいうのです。自由と平等の資本主義を否定するものではなく、補完する、バックアップシステムとして、温存すべきではないかというのです。確かにこれからは格差の時代、その地区ごとのエコ社会の構築こそが求められているのではないでしょうか。

 大事なのはその地域で生まれ育ってよかったと言える社会、いつか帰りたいと思えるふるさとではないでしょうか。幸せの実感は個々によって違いますが、都会でもない、田舎でもない境町にとっての本当の幸せ、本当の豊かさとは何なのか、この変革の時だからこそ考えなくてはならないと思います。

 ともあれ境町が動き始めたました。若いリーダーの方々には好ましくない慣習があるなら、それをただし、未来に期待が持てる境町にしてもらいたいものです。私も微力ながらそのお手伝いができればと考えています。先人たちの誇りを失うことなく、未来に生きる住民のために、まさに今やらなくて何時やるのだ!

 新しい年が住民の皆様にとって希望の年となりますことを祈り、ご家族皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。
      (H26.12.30  内海記)




2014年7月17日発
                   3月の初議会から6月議会の改革まで

 境町の新橋本正裕町長は3月議会でさっそうと登場しました。滑舌良く話す言葉には熱意と長年の夢のようなものが感じられ、若いということの魅力ある登場振りでした。一般質問は私が一番で、新町長の一番打者になれたのは光栄でした。(籤引きですが)おじい様の橋本正士町長へ質問した駆け出しのころの私を思い出しながら時の流れを感じた次第です。

 質問へ対するお答えも明確で、ほぼ前向きの回答と思います。特に6月議会での男女共同参画については室を設けるという回答でしたので、今後に期待できると思いました。また機構改革では大幅に改革して、部や課を増設し、職員の配置も考えたようです。今までは合併しない道を選んだので、縮小の方向で補助金カットなど、財政再建に力を入れ、職員も一時5年間採用をしなかったこともあります。300名近くいた職員も今は230名となっています。

 今、境町では27年3月には念願の圏央道インターチェンジができるので、その周辺開発が最有力の施策となっています。企画経営課、企業立地推進室、町づくり推進室を新しく秘書公室として総務部の上においていることでもわかります。町長のやる気が見えます。また、職員の研修に外部に行かせたり、古河市とは人事交流をするなど、新しい試みも初めていて、大いに期待するところです。なんといってもこれからの境町のかなめになるのは若い方々なのですから。ただ町長の企画力の素晴らしさを職員がどのくらい理解できるかが問題かとは思います。日本人の常として急激な変化は受け入れられない場合もあるからです。

 新町長には先人たちが築いてきた境町を先人たちの英知も生かして、未来に夢が持てるような行政執行をお願いしたいものです。この町でみんな幸せを感じて生きていけたら本当にハッピーですものね。

 世の中を変えるのは女性と若者なのですから、若き町長には、どうぞ賢くお勤めくださいと今は申し上げます。(平成26年7月17日 内海記)

2014年2月14日発

                    無投票当選の町長に期待!

 境町町長選は、想定通り、無投票当選となりました。支援していた候補者ではありましたが、予定通りというのも違和感があるというものです。でも当選は当選。
夕方の出陣式は急きょ、お祝いの会になりました。多くの近隣首長さんや、議長さん、議員さん、各界の代表など、祝辞だけでも10人の方が登壇しました。その他来賓の紹介、スタッフの紹介、花束贈呈、ダルマ開眼などあり、ようやくし当選者の挨拶になったときは60分をまわっていたでしょう。当日は雪模様の寒い日でもありましたので心配しましたが、開始時間にはほぼ雨も止んで傘で見えなかったステージも何とか見えるようになりました。天も祝福したのでしょうか。新聞報道によると参集者は1100人といいますから、さすが町長選ですね。

 橋本正裕新町長はかつて、境町で23年という長い間統治した橋本正士氏の孫です。正士氏は私が議員になりたての頃、議会で対峙した方ですので、何とも時の流れを感じます。あのころの一般質問で、いろいろとあったことが偲ばれます。正士氏は新しい庁舎を建てて、ついにその庁舎で執務することもなく、現役で亡くなられました。何とも無念であったかと思いますが、境町の主なインフラを整備したことは間違いないでしょう。その孫ですから、政治的な手法はきっと学んでいるのでしょう。ぜひ新しい感覚で、境町を活性化していただきたいものです。

 早速に気になることは圏央道が26年度中に開通するので、その周辺開発をどうするのかというところでしょうか。役場内の機構改革も新しい感覚でされるといいと思います。そして近い未来には再びの広域合併も視野に入れたいもの。今、茨城県の水戸地域や県南地域で行われつつある合併協議を有効にして、新しい町づくりをお願いしたいですね。景気が上を向き始めた今だからできることあるはずです。若い方々の意見も取り入れて、様々なアイディアに期待します。未来の住民に感謝される事業を切にお願いします!

 住民の意見を取り入れる方策も必要でしす。何しろ、官民一体の協働の町づくりでなくては、未来へ胸を張って自慢できる町にはなれません。町をつなげていくためには、今まで培ってきた政治学と住民の声、そして議会の意見とそれぞれの役割を持って構築していくことです。ちょっぴり明るい兆しが見え始めた境町です。みんなで盛り上げていきましょう!

 ある自治体のトップが言っています「行政は住民を幸せにするシステム(制度)である」と!皆この町でハッピーになりたいのです。よろしくお願いします。

           (H26.2.14 内海記)


2014年1月4日発          年の初めに


 新しい年を迎え、今年こそはと様々な計画に胸を弾ませておいでのことでしょう。私も4期目の議員生活を悔いのないものにしようと、初心忘れずの精神で、日々を送りたいと考えております。変わりませぬご厚情をお願い申し上げます。

 最近は月日の経つのが、本当に早く、時の流れは止めようもなく流れていきます。もしもタイムスリップして、時代を選ぶことができたら?と考えたりしますが、やっぱり、今の時代、この日,この時しか思いつきません。誰にも束縛されず、自由で、努力さえすればどんな人物にでもなれる、今の日本、この時代のこの国です。にもかかわらず、地球のそこかしこで、こんな些細な自由や人権もない人々がいるのです。世界各地での紛争には心が痛みます。

 日本でも東北の各地で、いまだに帰宅できない方がたが沢山います。彼らに新しい人生が見つかることを祈らずにはいられません。地震大国日本での原発事故は想定外の未曾有の出来事でした。これを機に、新しいエネルギーの構築、新しい価値観の政治を構築してもらいたいものです。悩める多くの方々のためにも早く本当の平和が来ることを祈ります。

 さて境町ではこの2月に町長選挙があります。今のところ無投票になりそうな状況ですが、町議選が無投票で、またもや無投票というのも一見平和ですが、何とも活性化されませんね。思えば先の町長選挙も無投票でした。この無投票ということほど責任が伴う事態はないものと思います。何しろ住民が選択する余地がないのですから。どの世界でもすべての人が100%納得なんてありえません。選べないからそうなるのであって、それを全員が自分を認めたと考える為政者がいたとしたら、それは独裁政治の始まりです。

 私たちは地方自治体の原点に返って、町政を見ていかなくてはなりません。幸いにも若い方が、立ち上がっています。この町を担っていく、こうした次世代に私たちは境町の夢を託すほかありません。未来の子供たちがこの町に生まれてよかった、この町の出身だと、胸を張って言える、そんな境町にしていってほしいですね。期待しましょう!
 しかしながら若いということは、また、未熟でもあるということです。私たちはそこのところをよく見極め、適宜な意見を言いましょう。それも未来へ向かって有効な、そして実現可能な範囲のね。そしていつも私が思うことは「新しい葡萄酒は新しい器に」ということです。古いものを改革しての町づくりでなくては何もなりませんものね。もと来た道へ帰るような政治はもはやごめんです。

 これからは官民一体の町づくりが主流です。真に民主的な方法として、住民参加の町づくりです。老若男女、障害者もともに一つの意見として認め合う社会の構築です。そのためには行政と情報を共有しなくてはなりません。今のように行政側に多くの情報がある限り、良い地域づくりは望めません。今一度行政の役割、住民の役割、そして議会の役割を明確にしましょう。私はそのために町づくり条例を提案しています。皆様のご意見をお待ちしています。

本年もよろしくご指導のほどお願い申し上げます。
      (平成26年 1月4日  内海記)

2013年8月29日発        無投票当選して

 6月11日の境町議会議員選挙で無投票当選となりました。私個人としては大変不本意でありますが、これも皆様の選択ということですので、甘んじてお受けいたします。多くのご支援くださった方々には4期目の私をご支援いただき、本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。一言に4期目と申しましても、過去に2回の落選をしている私としては今回も過去と同様、真摯に選挙運動をいたしました。1日だけの活動になりましたが、その1日の中で、境町を一回りし、時間がある限りは街頭で思いを述べさせていただきました。

 しかしながら、立候補の説明会では18人も来ていたのですから、まさか14名の定数すれすれになるとは思いもよらないことでした。告示日当日はほとんどの立候補者が無投票を見越して夕方の出陣式にしたようでした。私も早々に選挙カーを繰り出して街頭活動を開始しましたが、一日では思うことの半分も言えていなかったと感じます。5時近くになって、無投票という知らせが入りましたが、想定されたこととはいえ、何か割り切れないものを感じておりました。これで住民の方に私の考え方、政策が通じたのだろうか?本当に評価されたのだろうか?と今でも考えています。住民の方も、公報紙もなく、だれが議員になったのか、だれが立候補しなかったのか、いまだにわからない方もいるのではありませんか。特に新人の3人の方については、私でさえ、どういう経歴の方で、どういうお考えで立候補したのか、お聞きしたいぐらいです。まあ私は触れ合える立場ですので、ともに仕事をしていく中で見極めていけますが、住民の方はどうやって4年後の選挙時に見極めるのでしょうか?狭い町なので、知っているということなのでしょうか?現在、一回目の議会(7月12日〜19日)が終わった今も、釈然としない私です。

 この間、参議院選挙では想定通り、自民党が圧勝となりました。民主党に失望し、維新の会にも失望し、みんなの党も内部分裂しそうだし、民主党から離れた生活の党も脱原発でよいかと思ったらやっぱりだめ。となると老舗の自民党しかなかったということでしょうね。確かに多党化が焦点をぼかしました。2〜3の団体から選ぶのなら何とか冷静な判断ができますが、10幾つもあったのではね。おまけに参議院といいながら、なぜか衆議院で落ちた方やタレントが新人として立候補するのですから、もはや衆議院も参議院も同じという認識しか持ちませんものね。立候補された方は必至で闘って、それなりに人格も形成されたのかもしれませんが、国の大事な代理人を選ぶのですから、それなりの人格者に立候補していただきたいものです。特に参議院は解散がないのですから、じっくりと政策に取り組んで行けるのですからね。一票の格差もあり、小選挙区制の弊害が言われているこの頃、誠にいびつな選挙としか思えませんでした。まあこれが今の日本の人材なのですから致し方ありませんけど。

 また、今回の選挙は2年前の3.11後の脱原発の民意を受けて、エネルギー論争があってしかるべきでしたのに、民意はこぞって景気回復でした。誰一人として明確に脱原発を前向きに発言していませんでしたね。わずかに原発事故の当初から脱原発を訴えていたタレントの山本太郎氏が当選したことは救いでしたが、たった一人での戦いはどうなるのか、不透明な状況には変わりありません。彼にはこれから大変な困難があろうと、老婆心ながら心配しております。
 あの金曜日ごとに総理官邸前で行われていた脱原発の集会はなんだったのでしょうね。それが何もといっていいくらい反映されない選挙だったわけですから。あの脱原発の流れは今も続いていますが、今回の選挙の結果で、一時、遠くなりました。命が大切か経済が大切かとなると、どうしても経済優先なのですね。いまだにこの日本は。アベノミクスは今消費税を予定通り上げるか否かで、有識者60人に意見を聞いていますが、これは単なるガス抜きでしょう。ほとんどの方が消費税を上げるなら、社会保障をしっかりとやるように言っています。もっともなことです。

 しかしながら1000兆の借金を抱えて、国会議員数も減らさず、政党助成金はもらう、という国会議員さん方、市町村合併で地方議員数を減らして、経費削減している地方自治体からすると羨ましい限りですよ。私たち国民は生まれた時から国と地方の借金を300万以上背負っているのです。これで未来の子供たちに、未来があるのでしょうか。身を削ることもせず、税金を上げていては国民はたまったものではありません。おまけにTPPとやらで、日本の農業や産業はどうなってしまうのか、はたまた中国や韓国との国際問題。少子高齢化で人口が減っていく社会にあって、問題は山積しているのです。決められる政治は歓迎ですが、右傾化だけは避けてもらいたいですね。いつか来た道ではあまりに学習していないことになりますものね。

 境町でも26年度中に圏央道のインターチェンジができますので、何かと便利になります。それに付随して、様々な変化が起きそうです。水と緑の環境の良さをを失うことなく、この町に生まれてよかった、「境町の出身です」と胸を張って言える町にしていくために、これからの4年間、私なりに努力していきたいと考えています。どうぞ皆様のお知恵をおかしください。
 
         (平成25年8月29日 内海記)

2011年12月31日発

                   今年(2011年)を振り返って

 今年は3月11日の東日本大震災とそれに続く福島県の原子力発電所の事故という未曽有の天災と人災に振り回された1年となりました。いまだに復旧も復興もままならぬ状況を見ますとさまざまなことを考えずにはいられません。被災された方がたへは心よりお見舞い申し上げ、またお悔やみ申し上げる次第です。

 そして今更のように、この地域の地の利を感謝したい気持ちです。この幸せを以て、私たちはある者は被災地へ行きボランティアをし、ある者は各所で、チャリティーをし、支援金を募ったことと思います。個人的にも多くの方がカンパしています。日本人が静かに支え合う姿は海外では奇異にさえ移ったと聞きます。今年の言葉が「絆」というのもうなずけます。まさに民族的なDNAといえましょう。

 しかしながら、政治はどうだったでしょうか。政権交代して2年が過ぎましたが、その間3人もの総理大臣とは?誠に情けない状況になりました。しかも原発事故で大変な時期に内閣改造ですから、国民の理解が得られるはずがありません。戦後のあの時期と同じような、混乱の事態ではあったとは思いますが、もう少し大人の対応が出来なかったのでしょうか。これが成熟した民主主義国家とは!

 野党の自民党も、長く政権党であったのですから、少なくとも原発事故に関してはエネルギー政策の間違いもあるのですから、責任を感じてもよいのに、なぜか反対ばかりしています。こんな時だからこそ、未熟な政権党に協力して、国民を安心させてもらいたいのに。これはまさに有事に外ならないのです。

 いまだ完全に収束していない状況の原発事故。これから長い間、私たちは放射線の脅威と付き合っていかなくてはなりません。廃炉にするとしても40年はかかるというのですから。なんということでしょうか!にもかかわらず脱原発に向かない政府。

 かつて戦争の時、一番先頭に立たされたのは一般人でした。指揮官はデスクの前です。同じことが今、福島県ではなされているのです。各種の報告書を見るとこれは人災であることが証明されています。しかもそのつけは次世代へ行くのです。こんなことで私たちは胸を張って未来の子供たちへ時代を渡せるのでしょうか?

 加えて、何一つ実行されていない政府のマニフェスト。言い訳ばかりの政治家たちにはもううんざりです。「コンクリートから人へ」のキャッチフレーズも泣いています。だからこそ選んできたのに・・・ここへきてなんという裏切りでしょう。かといっていつか来た道へ戻るのも出来ませんね。やはり日本では二大政党は無理なのでしょうか。

 アラブでの春や来年の各国リーダーの交代、ドル安、ユーロ安等世界情勢を考えると、こんな風に日本の政治がごたごたしている時では無いのです。なんとも情けない状況です。だからというわけでもないでしょうが、元大阪府知事の橋下氏の台頭は脅威です。大阪市長選での圧勝を見ますと、もはや今までのリーダーでは立ち行かない状況になっているのです。そのことに気付いた方々が立て直すほかないのでしょう。ここは若いエネルギーに期待しましょう。

 そして、今度リーダーたちを選ぶ時(選挙の時)は、良く考えましょう。何が正しく何が不正か、各人がよーく考えて信頼できる方を選ぶ以外に、私たちが政治に参加することは出来ないのですから。未来は選挙からです。その選挙も絶望的な気もしますが、とりあえずは正直に向かい合いましょう。

 私には、あのボランティアをした方々の思いがすべてのように思います。あの純粋な心が、必ずや日本を構築する力となるでしょう。そのことに期待して、とりあえずは私たちにできることを、一人ひとりが国民として、地域社会の構成員として探していくことではないでしょうか。道は長いですが、希望を以て、未来へ向かいましょう!未来の子供たちのために。永遠に安らかに眠れる場所づくりのために。

 来る年が、よりよい日本、より良い世界となっていることに期待しましょう。微力ながら、この地域の安寧のためにお役にたてれば幸いです。

               (2011年12月31日  内海記)

2011年4月11日発

                   東日本大震災震に寄せて

 

 3月11日の東日本大震災から早くも1ヶ月が経ちました。あの恐ろしかった3月11日、私はちょうど議会の予算委員会が終了したところで、ほとんどの議員が議場にいました。これは大きいとみんな口々に言いながら窓の外を見ましたが、さほど被害があるようには見えませんでした。わずかに境小の生徒が帰るところで、大丈夫かなと心配したぐらいです。しかしながら境町でも屋根や壁、塀の損壊など1174件の被害がありました。人的被害がなかったことは本当に幸いでした。

 その日は一晩停電で、皆様不自由なことだったと思いますが、翌日見たテレビでの岩手県、宮城県、福島県、また茨城県一部の惨状を見ますと一晩ぐらいの停電はどうということもなかったのです。あの映像の痛ましさに、これは映画の1シーンではないかとさえ思い、そうであってくれという思いでした。まるで戦争のあとのように言葉を失う光景でした。

 本当に被災された方には心よりお見舞い申し上げます。

 あれから、もう1か月が過ぎたなんて到底思えないほど、毎日流れる報道に涙ぐむ日々でした。加えて大きな余震が後を絶ちません。被災者の心境はいかばかりかと心は痛み続けています。被災地での惨状はいまだ何一つ解決していないといってもよいほど、遅れています。家族を亡くし、家をなくし、職をなくし、なすすべもないこの状況は天災とはいえ、神も仏もないのではと、天をのろいたくもなります。まさにアルベール・カミュが言った「不条理」とはこのことでしょうか?

 この地震と津波と原発の事故は私に2001年9月11日のアメリカでの同時多発テロを思い出させます。あの時、世界は変わると思いましたし、また変わらなければならないと感じました。価値観の違い(貧富の差)が摩擦を起こしているとしか思えなかったからです。そして今その兆しがわずかに中東地方での民主化運動に表れているようです。だからと言って劇的に変わるのはまだまだ先のことでしょう。しかし世界の価値観が少しずつ変わっていくに違いありません。

 同じように今、この3月11日は日本に大きな変革をもたらすのではないでしょうか。いえ、もはや変革しなければ立ち行かない状況でもあるはずです。特に原発事故は想定外であったと言ってすまされる問題ではないでしょう。私たち国民の生命と財産を守るのが国家の役割であるはずなのに、この不安感は何なのでしょう。リーダー不在とも言われています。未曽有の天災なので、誰がリーダーでも多少の躓きはあるでしょう。しかしながらもはや1か月の間、どうなるともわからない未来へ不安を抱かない人はいないでしょう。政治家お得意の大風呂敷を広げる方はいないのでしょうか?

 そしてこの期に及んで、政権の駆け引きをしている野党になった前政権等にもがっかりです。国家的危機、まさに有事なのですから総力を挙げて協力するべきでしょう。なのに相手の誹を攻撃するばかりの国会でした。不毛の国会質疑としか思えませんでした。本当に情けないですね。長い間の一党独裁的な政治体制にこそ問題があったのではありませんか?そのひずみが最悪の形で噴出してしまったのです。

 そもそも地震王国である狭い日本で原子力がクリーンエネルギーだからと言って推進してきたのは前政府です。それを踏襲したに過ぎない今の政権ですが、日本には水力もあり火力もあります。開発すれば風力も太陽光もあります。ある科学者たちによれば原発がなくとも十分電気は賄えるのだそうです。それには電気会社の仕組みを変えなくてはならないでしょうが(一部国営で等)外国などではすでに風車など導入しています。(スペインなど)

 原発一基で約1兆の建設費がかかるとなれば箱モノ行政のおいしい蜜の味。沢山の建設会社を潤したことでしょう。また長い間の政・官・財の癒着は危機感をなくさせました。その結果コストがかかると言ってしなかった対策もあるようです。いまだになすすべもなく、低レベルながら放射能を出し続けている福島第一原発。しかもいつ収束するかもわからないというこの不透明な情報。本当はどうなっているのでしょうか?本当に気になるところです。考えると夜も眠れないぐらいの思考レベルです。危険と背中合わせのエネルギーはかつて爆弾でもあったのです。これはまさに天災ではなく人災ではありませんか?

 こんな危険なエネルギーの元に豊かさを維持しているのが現代なのでしょう。少々はしゃぎすぎたのでしょうか。計画節電はそれぞれの生活を見直す良いチャンスかもしれません。無駄なこといっぱいしているのが今の社会です。自由という名のもとに、なんと多くの欲望が渦巻いているこでしょうか。本当は一つ二つの欲望で満足しなくてはいけないのかもしれません。そうすれば中東やアフリカの飢餓問題も解決するのかもしれません。

 足るを知るということでしょうか。謙虚に生きるのも大事なのではないでしょうか。未来の子供たちへどんな社会を残すのか、今一度よく考えてみたいものです。そして自分にとって何が一番大切なのか。今回の未曽有の天災は否応なしに個人の人生観を変える良い機会なのかもしれません。人生の目的は何か。生きるとはどういうことか。それぞれの人生がいま問われているのではないでしょうか。

 豊かさとは何かをもう一度よーく考えることにしましょう。明日の日本のために。生き残った者の務めとして。避難場所でのいたいけな子どもたちのさびしそうな笑顔が気にかかります。子供たちに幸運が巡ってくることを祈ります。

 今書いている間にも幾度も余震がありました。早くすべてが解決することを
祈って、天を仰ぎたい心境です。皆様もご自愛のほどお願いいたします。  (2011.4.1)


               JT跡地で百条委員会設置

 4年前の合併論議のさなか、全額借金で購入したJT跡地(旧日本たばこ産業跡地。3年後の昨年プロポーザル方式でウエルシア関東に売却された)が境町議会の百条委員会にかけられています。これはさる6月議会でのI議員とS議員の一般質問に対して町長から明確な答えが得られなかったために、さらに真相を究明しようと全議員が委員となり(議長を除く)設置を議決したものです。また住民3人から出されていた住民監査請求を町が却下したため、水戸地裁に提訴されている事実も踏まえたものでもあります。(のちに提訴は取り下げ、もう一度住民監査請求を提出するということだ)

 第一回目の6月27日は副町長が質問攻めにあっていました。その中で分かってきたのは、「ウエルシア関東との売買契約書に契約違反の条項がないのは信頼関係の中でやったことで、町長の許容範囲」「跡地の検討委員会以前にすでに図面があったが、検討委員会へ出していないのは正式なものではなかったから」「当初は町の個店がテナントとして入る図面だったが、今は大型店になっている」等々聞けば聞くほどあいまいになっていくようでした。よく国会の答弁で官僚たちが同じことを繰り返す発言がありますが、同じような感じがしたのは私だけでしょうか。

 いずれにしても、入札時にはウエルシアと大型店のカスミしか残らず、他の地域にない医療モールを打ち出しているウエルシアということになったようです。しかも買った時よりも一億高く売れたのですから境町の財政には損失はなかったのです。そしてその通りにことが運んでいれば今回のような委員会にかけられることもなかったはずです。今頃はモールも出来上がっていたことでしょう。

 問題はその中に入札を争ったカスミが入ることになったからです。常識では考えられない事態に、一部の住民は怒っているのです。そしてこのことは噂としてかなり前から流れていました。(カスミに勤めている方から聞いていた)それがウエルシアの地元説明会で確実となったのです。

 議会でもJT跡地についての質問はプロポーザル募集の時から各議員から出ていて、町長はそのたびに既存商店を圧迫しないよう、町の活性化を考えて売却したいという内容の回答をしています。そして議会の議決を経て売買契約をしたわけです。
その意味では議会人たちも責任はありましょう。契約書を吟味しての議決であったはずです。今頃契約書云々もおかしな感じです。

 さて第二回目の百条委員会は町長が質問攻めとなりました。傍聴者も30名ぐらいいたでしょうか。もちろん報道関係者も数人いました。
 議長「カスミは入れないと言ってきたのに、容認したのは議会無視の暴挙ではないか」
 町長「町の財政や将来を考え、住民の利便性を考慮に苦渋の選択であった。」
 委員「住民訴訟まで起きているこの事態をどう考えるか。議会と対立していいのか」
 町長「私の不徳の致すところ。町を思う心は一つと思うので、話し合っていきたい。」
そのほか、地方自治法96条、138条の2に抵触しないのか聞かれていましたが、町長としては順序を経て誠実にやっているということで、明確な判断は避けていました。

 結局3時間にも及ぶ審議で、傍聴も疲れてしまいました。質問する議員も数人と限られた人たちで、一期目で一般質問では活発に質問していた議員たちは聞くだけにとどまっていました。こんな時だからはっきりと問い詰めればいいのにと考えるのは素人というものでしょうか。何やら出来レースの感があり、聞けば聞くほど疑義が増していくようで、もしかしたら議員さん方も諦めているのかもしれません。

 質問のやり取りの中で私がひっかかったのはプロポーザルで売却した理由として税収増といいながら、今年1月1日現在の税収根拠は雑地となっているということです。隣接の土地は宅地並みのはずですし、店舗を作る目的は明白なのですから宅地課税が妥当と考えるのですが。その差は102万とかいうことです。しかも町長はそのことを知らなかったというのですから。(まあ町長がすべてを把握しなくてもいいのですが、話題になっている物件ですものね)

 町長の姿勢が自治法132条の2の「執行機関の責任」に抵触するかどうかも定かな答えはなかったと思います。次回はどんな展開になるのでしょうか。当分の間、緊張感が張りつめた境町議会となりました。議員さん方には多いに真相を究明していただきたいものですが、すでに工事も始まっている今となっては何か的を射ていない気がします。過去の百条委員会のように不毛な論議とならないよう頑張っていただきたいものです。

 注:自治法138条の2(第7章、執行機関)
{執行機関の義務}
 普通地方公共団体の執行機関は、当該普通地方公共団体の条例、予算その他の議会の議決に基づく義務及び法令、規則その他の規定に基づく当該普通地方公共団体の事務を、自らの判断と責任において、誠実に管理し及び執行する義務を負う。      (平成20年7月12日 記)





2008年2月8日発

                新しい葡萄酒は新しい革袋に

 新年を迎え政治の世界も進展するかと思っていましたが、相も変わらず年金問題が尾を引き、株価も内閣支持率も下がる一方ですね。おまけにガソリンの高騰でにわかに噴き出した道路特定財源の問題。民主党は暫定税率をなくし、一般財源にと主張して自民党との違いを際立たせていますが、一方、必要な道路は造ってほしいとする地方自治体の首長、知事さんたちがいるのですね。わが茨城県知事も昨日の東京での決起大会に参加したようです。
 
 小泉内閣の時、あんなに論議して、一時は無駄な道路は造らないとして約9000キロであった道路が、いつの間にかまたもとの1万4000キロになっているのですから、何のための議論だったのでしょうか。人口が減り、お年寄りが多くなるというこの時代に、まだまだ建設ですか。公共事業ですか。ハコモノは残りますが、次世代への負債も残るというものです。返済する人口が減るというのに、相も変わらずの経済優先、効率優先の考えでいいのでしょうか。

 今、食の安全が脅かされています。中国製の餃子から毒性の高い農薬が検出されました。詳しいことは調査中ですので、なんとも言えませんが、私としてはこの際、日本の食についてみんながもっと考えるべきだと思うのです。

 冷蔵庫を開け、食品の袋の裏側を見ると、中国産はもちろん、タイ、インドネシア、カナダ、ノルウエー、と世界各国の名があります。それが当たり前になりつつあるのですが、考えてみると怖いことですね。それも地球温暖化で産地がさまざまに変わっているようです。100年後には大衆魚のサンマも食べられなくなるとどこかで聞きました。(まあ100年後ですから!)とはいえ本当に怖いことになっているのです。

 加えて中国など、安い賃金でできる加工食品はどんなものが使われているか分からないというものです。(段ボール肉まんがありましたね)
 そして私たちが一番考えなければならないのは、こうした低賃金のおかげで、手軽で、安く、おいしいものが食べられ、結果として無駄にしている、つまり捨てているものも少なくないということです。(コンビニなどでの廃棄処分は本当にもったいない話です。だから安心ということもできましょうが、昔何もなかった時代を少しは知っている身としてはもったいないの一語です)

 道路を造って快適にするのも大事かもしれませんが、健康あっての人生。その健康をもたらす毎日の食生活の中の安全と快適さこそかけがえのないものと考えます。
 自給率39%という情けない日本の食事情です。せめて農産物を誇る茨城県では自給率を高めたいものです。地産地消の推進ということでしょうか。地元産は地元の人にとってはまさに健康食品というものです。とれたての野菜のおいしさはだれもが知っているはず。それはここでしか味わうことのできない味というものです。というわけで、私は地元産の野菜のファンでもあります。特に顔が見える存在がうれしいですね。(某スーパーにある)
 
 話は境町になりますが、合併しない町を選択したのですから、それなりの覚悟で、きらりと光る政策を考えないとだめですね。議会も職員もそして住民も皆で考えればいい案が浮かぶはずです。そんな住民会議みたいなものを企画してもいいのではないでしょうか。今様にプロジェクトとでもいいましょうか。
 
新しい葡萄酒をおいしく作るには新しい革袋で発酵させなければなりません。葡萄は新しくても入れ物が古ければ発酵せずに腐ってしまうからです。境町の新しい葡萄たちは何をしているのでしょう。せっかく新しい風が入ったと思えたのに、一向に姿が見えません。まさか千の風になってしまったんじゃないでしょうね。本業に忙しくて議員の勉強が進まないって?それでどうして他の自治体をリードできましょうか。

 何よりも命が大事な観点から言うと、経済だけではない、人間らしい生き生きとした施策こそがこれからの政治に求められているのではないでしょうか。一人の人生は限られているのです。誰もがこの町に生まれてよかった、この街に住んでよかった、と誇れるまちづくりが大事なのです。なんて、掛け声だけは良く聞いたような気がします。そうそう選挙のたびに聞きました。でも本当にやってくれるのは誰なんでしょうか。あの合併論議のからさわぎから、やがて3年になります。未だ方向の見えない境町を危惧するものの一人です。少々心細くなってきました。(平成19年2月8日 うちうみ記)


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